こころのかたち…

朝の冷え込みが厳しくまだまだ起床時に布団から中々出難くて苦労するこの季節、和茶や和菓子畳など日本の心所謂和というものに心引かれてしまうのを話すと老人臭いといわれてしまいかねない今日この頃ですが皆様いかがお過ごしでしょうか…?



さて、本日は先日までの卒業旅行の疲れのためでしょうか、午前中は全く起きることなく熟睡したままでした。因みに、その間にどうやら例の焼肉屋から電話があったようですが、全く気付きませんでした。(汗
それでも、何故かメールだけは無意識上で返信したようです。もし、本日の午前中に私にメールを送った方で返信があった方は、へんな内容でないか確かめてください。(汗
さて、話がそれましたが、どうにか眠たい目を擦りつつ昼ごろに起床。そのまま、昼食を取るためにキッチンへ。すると、そこにはなぜか牛丼が置いてありました。弟曰く「今日は安い日だったから買ってきたらしい」とのこと。そんなわけで、冷えていてさほどおいしくもない牛丼を食べて、ふと弟の違和感に気付きました。どうやら、今日は某カレー専門店でアルバイトの面接があるとのこと。長年アルバイトをしている私から適当にアドバイスなどを送り、弟を送り出した後、自室に戻りPCを起動。旅行の間に溜まっていたメールやお気に入りのサイトをチェックし、システム開発会社に対して、連絡事項を送った後、PCの環境がおかしいのでメンテナンスをすることにしました。とはいっても、不要なソフトを消去したり、ウィルスチェックをしたりするだけですが。そんなわけで、早速不要なソフトを消去してみました。結果、数GB単位のメモリに余裕ができました。いったい私は、どんなに無駄なソフトをインストールしていたのでしょう。(汗
その後、ウィルスチェックをして、メンテナンス終了。その後は、クラシックを聞いてみたり、小説を読んでみたり、降りしきる雨を眺めてぼうっとしてみたりしながら、日長一日無駄な時間を過ごしていたわけです。そうこうしている内に、気がつけば夕方。そして、なぜか弟にせがまれて、某家電製品販売店へ。どうやら、安売りをしていた液晶テレビが欲しかったようです。しかし、どちらにしても、アルバイトをしていない弟に手が出せる値段ではなく、すごすごと諦めていました。その後、帰宅してからすっかり遅くなってしまった夕食をとり、現在に至るわけです。


ところで話は変わりますが、先日卒業旅行中に、kururinpa氏midorimusi氏と話し込んでいました。そのときに、私も彼らも普段はいえないようなことを言っていたりしたわけです。それから、さほど時間がたっていないせいでしょうか、今日はなぜか心の形というものを考えていました。以前もかきましたが、心というものはどこにあると明確に言えるものではありません。それは、当然の如く心に形がなく、存在自体が不確かなものだからです。科学者から言えば、記憶や思考、感情などは脳が発する電気信号による副産物に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもないわけです。では、何故人は心を表現するとき、ハート型を思い浮かべるのでしょうか。それは、心という漢字の成り立ちの影響だと私は思います。ハートとは、日本語に約すと心臓。そして、心という漢字は心臓の象形文字でもあるのです。昔から、心というものは胸にそんざいすると考えられていたので、自然心の形=ハート型という流れになったのでしょう。
さて、結局何が言いたいのかというと、結局心というものは人間が人間らしく生きていくために必要不可欠なものだと思うので、大切に扱う必要があるという、これまでの文章から、どこをどう解釈したらそんなことがいえるのか全く分からないようなことを言いたかったgachamukなのでした。



ではそろそろネタが尽きてきたのでこれにて終了させていただきます。

それでは皆さん……See you またいつか!