見つけた日…

初めはがむしゃらだった。
失った哀しみを振り切るために。
ほかの事に懸命になって。
忘れようとした。
けれども、忘れることができなかった。
ふとした瞬間の空白に。
失ったときの哀しみが蘇る。
まるで、それを忘れることが間違いだというかのように。
人は思い出を忘れることで生きていけるという。
けれども、忘れ去られたものは、思い出ではなくなる。
そして、自分はそのことを覚えていたい。
とても哀しいけれど。
自分を創る一部だから。
だから、がむしゃらになるのを辞めてみた。
少しだけ立ち止まって。
しっかりと大地を踏みしめて。
深呼吸をして。
周りをぐるりと見回してみる。
そこには、今までと同じ光景。
けれども、どこか違うように感じる光景。
きっと、いままで見ようとしなかったものだろう。
そして、今は見ようとしているものだろう。
それに気付いたとき。
自分の中で何かが始まった。
それは何かは分からないけど。
きっと、これからの自分に必要なものだろう。
それは始まりの日だった。
それは見つけた日だった。



見えることと見ることは違います。
前者は受動的、後者は能動的に視覚情報を得ることです。
さて、今日は何時も以上にひどい状態でした。
気分は落ち込むし、周りからプレッシャーがかかるし。(泣
少しの間、本気で涙が出てきました。(汗
あぁ、鬱だ…。