やったぁ…

冷たい風が吹いて身を縮こませるこの季節、寒いからと厚着をして登校すれば教室は逆に暑くて汗が吹き出る今日この頃ですが皆様いかがお過ごしでしょうか…?



さて、本日は学校の「T・A」で相変わらず1年生の面倒を見ていたわけですが、先週で厄介なHTMLによるホームページ作りを終え、今回からグループで発表する「Power Point」の作成に入ったのでかなり楽な思いをしました。私が担当するクラスの某先生もグループ活動に入ってからよほど暇だったのか、私に先生が普段家でやっているPCのゲームを紹介して暇を潰していました。何やら「MYST」という謎解きの要素が強いゲームを紹介していただきましたが、私にはよく分かりません。先生申し訳ありませんが、余りその手のゲームには興味がわきませんでした。

それはさておき、私の担当するクラスの隣やほかのクラスでは逆にHTMLによるホームページ作りに入ったようで、休憩の時間に少し様子を覗いてみると、先週私が味わった地獄を同じように体験していました。この様子を見た性質の悪い私は優越感に浸るわけです。



ところで話は変わりますが、皆さん中世ヨーロッパで100年戦争の際にフランスで活躍した「ジャンヌ・ダルク」をご存知だと思います。今回は彼女のエピソードを紹介したいと思います。「ジャンヌ・ダルク」はフランスの「ドン・レミ」という小さな村で生まれました。彼女の父親は村の長だったそうです。ある時神の声を聞いた「ジャンヌ・ダルク」はヴォークルールで予言を的中させ、ヴォークルールの騎士の信用を得ました。そこで彼女は自ら「la Pucell(聖乙女)」と名乗り、当時シャルル皇太子が滞在していた「シノン」へとむかいました。シャルル皇太子に謁見していた彼女は、そこで「アランソン公爵ジャン・ダランソン二世」と運命的な出会いをします。やがて準備が整い「ジャンヌ・ダルク」はオルレアン開放へ向かい、見事それを成し遂げたのです。その後「勝利王計画」のためにランスへ向かい、そこでシャルル皇太子の戴冠式を行いました。しかし、晴れて王になったシャルルは「ジャンヌ・ダルク」が邪魔になり彼女を敵対していた「イングランドブルゴーニュ」へ売り渡したのです。仲間に裏切られた「ジャンヌ・ダルク」は宗教裁判にかけられ、魔女の濡れ衣で火炙りにされその生涯を閉じました。また、「アランソン公爵ジャン・ダランソン二世」も彼女同様裏切られ、負け戦をさせられ戦死してます。



ではそろそろネタも尽きてきたのでこれにて終了させていただきます。

それでは皆さん……See you またいつか!