ふぅ…

今年も残すところ後一月となり何かと忙しくなってくるこの季節、やらなければいけないことが多すぎて右往左往している今日この頃ですが皆様いかがお過ごしでしょうか…?



さて、本日は勤労感謝の日ということで休みなわけですが、特に予定が舞い込んでくることも無く久々にゆっくりと過ごすことができた一日でした。ということでゆっくりと睡眠をとったのですが、昨夜寝るのが遅かったので起床した時間が昼の12時だったのは全くの余談なわけです。そして、自室にこもってゆっくりと小説でも読もうとした矢先に、例の機械音痴の母親から「年賀状を印刷して」という声とともに今年の年賀状と印刷するためのレイアウトのCD-Rを渡されました。更に年賀状は100枚以上もあったので、面倒くさくなった私はため息を吐きながら「やり方を教えるから自分でやって」と言ったら、「そういうことを言うんだったらあんたはご飯抜き」と脅されました。えぇっ、なんて理不尽な。私がやってデザインが気に食わなかったら文句を言うくせに、やらなかったらご飯抜きなんて。しかも、その後に「周りの家は全部子どもがやってるんだよ。」とまで言われてしまいました。こういうときに捻くれ者の私は「じゃあ、周りの家ってどこ?何軒なの?」と思うのですが、さすがに夕飯を抜かれるのはきついので心にとどめました。何で私の母はこうも理不尽なのでしょうか。私は年賀状などは送らないし貰わないのに…。このとき私はかなり不幸を感じてしまいました。なんて安い幸福でしょう。(汗


ところで話は変わりますが、とある小説を読んでいてふと思ったのですが「」はどこにあるかご存知でしょうか。「えっ、そんなの胸に決まってるジャン。」なんて思っているそこのあなた、それは本当に正しいのですか?よく考えてみると、物事を考察する時や感情などを制御しているのは全て脳です。じゃあ心は頭にあるのかというと一概にそうとはいえません。よくよく思い出してみると、皆さん大抵心を指すとき胸を指しています。「じゃあ、どこよ?」なんて問われても偉い学者ではない私は答えることが出来ません。ですが一応私なりの仮説はあります。私が思うに「」はひょっとして魂の中に存在するのではないでしょうか。魂の存在は大分昔に実験で証明されています。とある死が間近に迫った患者さんを体重計に乗せて待ち、患者が息を引き取る前の体重と引き取った後の体重を比べた結果、死後の体重が微妙に減ったということです。話はそれました。また、漫画や本などでは死後の魂はよく物事を考えています。以上の条件から私なりに紆余曲折を経て「心は魂に存在する」という仮説にたどり着いたのです。恐らくどっかの学者が既に論文として出していそうですが。(笑

しかし、だんだん訳分からない日記になっていますね。



ではそろそろネタが尽きてきたのでこれにて終了させていただきます。

それでは皆さん……See you またいつか!